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元中日・岩瀬 後遺症を語る。現役時代の成績は?

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プロ野球現役時代に投手として15年連続50試合以上登板の元中日ドラゴンズ岩瀬仁紀さんが、中日スポーツのコラムで現役時代の後遺症を語っており、話題となっています。

現役時代の2009年から兆候の出ていた後遺症とは一体どんなものだったのでしょうか。

今回の記事では岩瀬仁紀さんを現在悩ませる後遺症について調べていきましょう。

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元中日・岩瀬のプロ野球時代を経た後遺症とは?

現状岩瀬仁紀さんを悩ませる後遺症は右腕と左腕に出ているそうです。

岩瀬仁紀さんの異常の兆候は2009年からでていたそうです。それは右手のしびれだったそうですが、左腕が利き腕の岩瀬さんは、利き腕と反対だったこともあって、誤魔化しながら投げていたそうです。

そんな岩瀬さんを左ひじの痛みが襲ったのは2015年のこと。とうとうこの年は1試合も1軍登板のないシーズンとなってしまいました。

そして、両腕の後遺症はどちらも原因不明なのだそうです。

岩瀬さんは自身の後遺症を「勤続疲労」だと分析しています。おそらくは「四十肩」や「五十肩」に近いものだと思うと言っていますが、普通の人が思う「勤続疲労」とは次元の違うものだったのでしょう。

日本のプロ野球において岩瀬仁紀さんは最多登板と通算セーブ数の日本記録を持っています。最多登板は1002登板、通算セーブ数407セーブはいまだ破られていない大記録です。

ルーキーとして入団した1999年から2013年まで15年連続で、50試合以上の登板を行い、最速149キロの投球を行ってきた岩瀬仁紀さんの両腕にかかっていた負担というのは、想像すらできない次元なのかもしれません。

なんせ、プロ野球界でさえそこまでの前例がないわけですから、無理もないでしょう。

野球選手が投げれば毛細血管が切れます。毎試合登板に備えるリリーフは、その頻度が増えてしまうわけですから、まさに身を削る商売と言えるでしょう。

それはどんなに体をケアしても、トレーナーの力を借りても、体をむしばむ負担を少しでも軽減する程度にしかならないのかもしれません。

それでも岩瀬仁紀さんは「一瞬一瞬にかけて投げていた。戦っているとき、将来のことまで見ていなかった」と語り、公開しているような言葉は一切このコラムでは語っていません。

体を傷つけるのが避けられない仕事だと分かったうえで、そこに全力を投じていたということを考えると、本当にすごい投手だったのだと思わずにいられません。

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岩瀬仁紀 現役時代の成績は?

前述のとおり、日本プロ野球において最多登板と通算セーブ数の記録を保持するリリーフであった岩瀬仁紀さんですが、やはり1000試合以上で投球を行ったことはただただ驚きの一言ですね。

投打 左投左打
身長/体重 181cm/84kg
生年月日 1974年11月10日
経歴 西尾東高 – 愛知大 – NTT東海
ドラフト 1998年ドラフト2位

リリーフであることから、勝利数こそ通算59勝ですが、407セーブを上げて、それだけの試合数で勝利に貢献したことには驚くばかりです。

最多セーブ記録はセ・リーグ史上最多の5度獲得しており、10年連続10セーブ、9年連続30セーブという、現役として活躍した年数の中でも安定した成績を上げています。

400セーブに到達したのは日本プロ野球史上岩瀬仁紀さんただ一人であり、その記録を今後破る選手が現れることも当分は無いのではないでしょうか。

6度経験している日本シリーズにおいては一度も失点したことがないという、すごい記録の持ち主でもあります。日本一のかかったシリーズにおいて、試合の最後を締めるリリーフ投手としてこの実績は驚きですね!

本人にもこだわりのあるストレートと併せて「死神の鎌」の異名を持つスライダーは岩瀬仁紀さんの決め球として広く認知されています。

「死神」という通称を持つことで知られていた岩瀬仁紀さんですが、これもひとえにリリーフとしての存在感ゆえの異名です。入団以来の背番号である「13」がタロットカードの大アルカナで死神のカードを指すことに加えて、「試合の終わりに現れ、相手チームに最後の死(アウト)をもたらす」という、リリーフとしての仕事に畏敬を込めてつけられた通称です。

それだけの偉業を現役生活の中で積み重ねた岩瀬仁紀さんだからこそ、その両腕には長年の疲労が蓄積していたのでしょうね。

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元中日・岩瀬仁紀 後遺症に世間の反応は?

世間の反応はにおいても、長年プロのマウンドに立ち続けて偉大な記録を打ち立てた岩瀬仁紀さんの偉業をたたえる声が多いようです。

キャリアの後半において、若い頃のような球速がなくなってからも、その球の切れでセーブを上げ続けたこともあり、そのダメージの蓄積を心配する声も少なからずありました。

引退後の生活に支障が出てこそいるものの、長年にわたって億を稼ぐ成績を上げた両腕の後遺症は、ある意味勲章のようなものなのかもしれません。

プロ野球という厳しい世界は、短命に終わる選手も少なくない上に、成績を上げずに長年い続けることも叶わない厳しい世界です。

やはり、15年に渡る現役生活で、偉大な日本記録を打ち立てるほどの投手ですから、尊敬の念は禁じ得ませんね。

「やりきった人だから言える言葉ですよね。

外野から見れば、「あの時のせいで壊れた」などと言えますが、「あの時で無ければ出来ない事」をしていたという事でもあります。

本人が「しなければ良かった」というのなら別ですが、外野がどうこう騒ぐことではないと思います。

ただ一つ言える事は、ドラゴンズファンとして岩瀬には本当にたくさんの夢を与えて貰えたという事。」

「落合ドラゴンズを支えた真の鉄腕。

ストレートも緩急つけたり、大きく打者から逃げてくスライダーがキレキレでコントロールも抜群でしたから、岩瀬に繋げば勝ち逃げでしたからね。

浅尾は力で捩じ伏せるタイプでしたから、短命でしたが岩瀬はテクニックと低めでストライクをカウントできるピッチャーでしたから。

いつかはドラゴンズの監督に!」

「腕を思い切り振ると言う動作も、肩より肘を上げる動作も日常では無い動き。
誰よりもプロの世界で投げた岩瀬さんは、たくさんのダメージが蓄積されたのだと思う。
決して大きくない身体でのプレイ。
人並み以上のケアと努力の積み重ね。
次回の記事も期待してます。」

「すごい。

中日の誇りですよ。やっぱり長く活躍するのはいかに厳しいかよーくわかる。

山本昌さんも肩が上がらないし肘が曲がらないから耳かきと歯磨きが左手でできないって話してたな。

そのおかげで1億以上のお金を一番長い年月もらった選手になった。って笑ってた。

家にある岩瀬と山本昌のユニフォームが光って見えるわ。」

「現役時代は口には出さないが身を削って命を削って、厳しいファンの声にも心を折らずに耐えてやってこられたんでしょう。

この人はいい指導者になるでしょう。」

「40過ぎた選手が全休明けでフルシーズン投げ抜いたんだからそれだけでも驚愕だわ。
マッサージは数時間かけて、イチローや山本昌と同じ身体を柔らかくする初動負荷トレーニングも徹底してたと聞いた。
それでも身体がガタガタになるんだから、登板しなくてもスクランブルに備えて投球練習しなきゃいけないブルペン待機って本当に心身が削れるんだろうな。」

ヤフーコメントより

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元中日・岩瀬仁紀 後遺症 まとめ

今回の記事では、元中日ドラゴンズの岩瀬仁紀さんについてまとめてみました。

長年プロ野球の世界の第一線で成績を上げ続けることの厳しさを知り、努力を続けた岩瀬仁紀さんだからこそ、今後も指導者として後進に伝えられることが沢山あるように思います。

今後の活躍にも期待しております。

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